主婦shcatのつれづれ日記(整理収納アドバイザーになりました!)

趣味の心理学や読書、整理収納について、ペットや子育て、PTAなど雑記

すき焼きと阪神淡路大震災

今週のお題「鍋」

「鍋」と聞いてすき焼きと
阪神淡路大震災を思い出した。

震災当日、すき焼きの記憶と罪悪感

当時、私は中学3年生。
幼稚園から阪神地区に住んでいるので
阪神淡路大震災の揺れは勿論ひどかった。

マンション自体は無事だったが
(棟によっては半壊指定)
家具は根こそぎ倒れ、食器もほぼ全滅。
残ったのは前夜に使われ、
洗いかごに入ったままで
食器棚に戻っていなかった
一部の食器くらいだった。

実家のマンションは
電気は当日の朝には復旧していたのだが
ガスがないので、調理ができない。
と言うわけで、カセットコンロの
出番だ。

冷蔵庫は使えないわけではなかったので
食材がダメになるから使おう、という
わけではなかったと思うのだが

何故か当日の夕食が
すき焼きだったことだけはよく覚えている。

壊れたとばかり思っていた
テレビも使えたので、惨状を知っていた。

家もあり、電気もある。
幸い家族もみんな無事だった。

家の中はひどい状況だったが、
それでもテーブルで家族で食卓を囲む
ことができた。
有難い話だった。

こんな大変な時に
すき焼きなんか食べてて、いいのだろうか。

きっとすぐ近くにも、住む家も失い
家族の命を失った人もいるはずだ。

そう思うと、暖かい食事を
家族で食べられているという
普段なら当たり前だったことが
幼心に、何だかとてつもなく申し訳なく感じた。

母からすれば
おそらく、たまたま冷蔵庫にあった材料で
簡単にできるものが
すき焼きだったのだと思う。

水もガスも出ないので、調理も洗い物もできない。
カセットコンロで調理でき、
鍋と割りばし、ラップを敷いた皿さえあれば
どうにかなる鍋はもってこいの食事だったのだろう。

その後、友人宅でもすき焼きをご馳走になる

私は当時、北摂中高一貫の私立校に
通っていたため
学校は普通にあった。
阪急電車の復旧がいつだったのかは
忘れてしまったが、
とにかく早いうちから普通に通学せねば
ならなかった。

(その頃の回想が過去記事にあります)
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電話はかなり長いこと使えなかった
記憶があるので、
どうやって親同士が連絡を取ったのか
分からないが

震災発生後1週間以内だと思う、
学校近くに住む、仲良しの友人の家に
泊まらせてもらった。

そしてその時の夕食も、すき焼きだった。
ニュースで見る惨状に心を痛め、
美味しいものを食べさせてあげようと
考えてくれたのだと思う。

気持ちは嬉しかったし、美味しかったと思う。
でも、当日の罪悪感を思い出して
何となく気が沈んでしまったことは
事実だった。

せっかくご馳走を用意してもらったのに、
きっと、大喜びで食べるとかいう
雰囲気ではなかっただろうから
余計に申し訳なくて…。

こうした思い出のせいか、
今でもすき焼きを見ると
時々震災の時のことを思い出す。

その後、東日本大震災など
日本は大きな災害にしょっちゅう
見舞われている。
南海トラフもきっとそう遠くない未来に
やってくる。

気を引き締めて、
その時に慌てずに済むように
できるだけのことはしておかなければ
ならない。

下記の記事以外にも
書きかけのままの防災記事なども
いくつかあるので、
またアップしていきたいと思う。

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