主婦shcatのつれづれ日記(整理収納アドバイザーになりました!)

趣味の心理学や読書、整理収納について、ペットや子育て、PTAなど雑記

阪神淡路大震災から25年

阪神淡路大震災から25年

阪神淡路大震災から25年ですね。


幼稚園からほぼずっと西宮に住んでいる私。
震災の時は中学3年生、
今の長女と同じ年でした。


下から蹴りあげられたような衝撃や
見るも無惨に破壊され、変わり果てた町並み
当時のことはよく覚えています。


自宅マンション自体は
部屋の中は勿論ぐちゃぐちゃで
食器なども全滅していましたが
住むには問題なく、
避難所や仮設住宅
お世話になることはありませんでした。


また、親戚がほとんど
阪神間に住んでいるにも関わらず
奇跡的に亡くなった人も大ケガをした人も
いませんでした。


被災したとは言え、
水道やガスが使えない程度のことで
困っている、大変であると
言えるような立場ではないな、
命も家族も家も電気もあるのだから。
そう、中学生なりに感じていたものです。


私は大阪の私立の中高一貫校に通っていたので
学校は全く無事でしたから
普通に学校に行かねばなりませんでした。


当日の朝も、普通に登校した友人が
たくさんいることを知り
(さすがに休校でしたが)
電車でたった一時間離れただけで
こんなにも普段通りであることに
やるせなさを感じましたね。


妹は地元の公立中学校に通っていたので
避難所になっていますから、
いろいろなボランティアも学校でしたり
していたようです。


中高一貫校なので、受験はありませんでしたが
私は学校に行って帰ってきたらもう夕方。
みんな大変なのに
何もしていない、何もできていない
後ろめたさのようなものが
ずっとありました。

震災で一番強く残った記憶

今でも強烈で忘れられない記憶があります。


いつもの朝、自宅から最寄り駅までの道。
道は通れるようになっていましたが、
道中には全壊したお宅もたくさんありました。


その中の一軒を通りすぎようとした時
瓦礫の中から、目覚ましが鳴り始めたのです。
7時前くらいの時間だったと思います。


この全壊したおうちでは、
ほんの少し前まで普通に人が生活していたのだ。


この目覚ましで起きて、
朝、家族におはようと言って
顔を洗って朝食を食べ、
仕事か学校に行ってきますといった
あたりまえの生活が営まれていたのだということを
思い知らされた感じでした。


唯一残った門構えの前には、
お花がそなえてありました。
お子さんがまたがって遊ぶような赤い車が
置いてあったのも覚えています。


逃げるようにその場から走り去りました。


震災から1ヶ月経ってなかったのかな?
時期は定かではないのですが…。


私のような
被災したと言えないレベルの者でも、
肌で感じたおそろしさや無情さは
一生忘れることはないのでしょう。


防災学習など、その体験を伝えていくことは
とても大切なのだなと強く思います。


いつ、どこででも誰にでも
起こりうること。


いざという時にどうすればいいか、
どのように身を守るのか
何をそなえておけばよいのか…


当時の私は子供で
細かいことなど何も分かりませんでしたが
親はきっと大変だったと思います。
不安にさせることのないよう、
いろいろ動いてくれていたのでしょう。
感謝です。


今は私も家族を持ち、子供たちを守る身です。
改めて意識していかねばと思います。